演奏家の楽器への投資、工夫と聴衆への機材への投資、工夫とは

まずここから。
id:Waldstimmeさんの所で凄くいい表現だと思われる「クラシックは徹頭徹尾、再現芸術であって、作曲家→楽譜→演奏家→聴衆という一方的な流れがあっての逆の過程はない」の中の一部をお借りして、オーディオまでを視野に入れた流れをまとめると上の流れに加え
作曲家→楽譜→演奏家→媒体→聴衆
という事にでもなるのかと。
ここで演奏家と聴衆の違いは、演奏家は伝達過程でのINとOUTがあるのに対し、聴衆は基本的にOUTが存在しない。
(勿論OUTが全くないという訳ではないが、ここでは単純化しないと発散してしまうのでまず無視する^^;)
この観点に立つと、楽器への投資は「IN側に対する忠実な表現力およびOUT側への魅力的な表現力の提供」への投資の両面があり、聴衆はあくまで「IN側のみ」になる。
冷静に考えると、Waldstimmeさんの所で自分が表現すべきだったのはこの点だったんじゃないかな・・・やっぱりよく物事は考えないとだめだと反省^^;