音楽って何だろう(雑記)

id:Waldstimmeさんやid:mandanaさんの所で話題になっていた「女性ヴォーカル」の件を発端にしたある音楽に対する認識論(というべきか?)についてはちょっと考えさせられるところがありました。

というのは、mandanaさんの指摘を受けるまでもなく、自分でも思うんですが、嗜好が偏っていますから。しかも支離滅裂(苦笑)


コメント欄で「女性ヴォーカルは聞かない」と宣言しました。正確には「ヴォーカル物はほとんど聞かない」なんですが。LPを導入以降は結構普通の古めのポップスも聴きますけど・・・メインではないですね。
改めてその理由を考えると、そもそも論として、自分の音楽的バックボーンがいわゆるクラシック(の中でも古典)にある訳で。ひとえに父親からの幼少の折からのありがたい教育の賜物(本当にそう思います、感謝です)です。
そのせいかどうかは?ですが、自分にとってはヴォーカルとは1つの楽器としか聞こえず、それにこめられたメッセージとはあくまで表現面だけしか認識できないという、そういう意味でも偏った人間なんですね。歌詞そのもののメッセージ性は認めるけど、「歌」を聞いても「音程の高低」「音の強弱」とかそういう感じにしか感じられないのです。
#だから結構オペラとかはOKなんですよ。バックボーンに近いし。
#ただしミュージカルは受け付けないです^^;

で、ぶっちゃけると大抵の(女性に限らず)ヴォーカルは「演奏力」的にぜんぜんだめで受け付けられないんです。決して、単に技術的に全くもって下手だから、というわけではないです。楽器で言うところのその人の「トーン」を感じない。それが一番です。
というか日ごろふと耳にする歌って、正直録音後Pr○toolsでいじっちゃえばいくらでも「生産」できちゃうレベルだと思いますが・・・何にも感じないです。
かつ、mandanaさんとおなじく、「惚れた腫れた」だなんていう内容には興味がないからだと自分では思っています。


それがゆえに、「音楽を通して人を怖がらせる/不快にさせる」というある意味崇高な「意図」を達成するために日々研鑽している(これは本当にそう思う)デスメタルとかに惹かれるわけで。
古典クラシック的な表現手段を超えたところにある、という点にも惹かれていますが。何せドラムがBPM400とかザラですし、ヴォーカルはもはや歌でなく、リズムと感情そのものですしね(笑)
演奏力もすさまじく、非常にタイトかつクリアな演奏でCDの方が聞きにくかったという理解に苦しむライブもありました(苦笑)
思うに、そもそも構成力、表現力がないと、「絵」がない状態で不快にさせるのはなかなか難しいんですよね。ただノイズを、というわけでなく曲のフォーマットにしなきゃいけないですから。
#これは小説家でもそう思います。
#ホラー小説家はほかのジャンルを書いても構成しっかりしていて
#読むに耐える場合が多いですからね。


あと、クラシックに楽器演奏という形で触れたため、当然ですが「楽譜」と向き合うことを覚えました。もちろん大学までそれで行って高度な教育を受けた、というわけでないので、完全に「作曲家の意図」を汲み取ったりということは出来ませんが、そこから読み取ろうとする姿勢は染み付いてしまいました。
もちろん楽譜がなくても、聞いた中からそうしようとする癖も一緒についた訳で^^;


ぐだぐだ書きましたが、まあ私にとっての音楽とは、いつもそこにあるべきもので、「演奏力」「構成力」「表現力」と向き合う物であるわけです。そこに「意図」を感じたい、消費でなく咀嚼する、そういう感じでしょうか。
#だからわざと「下手」なのはありですね、ぜんぜん。
#下手にする意図があってそうならばですが。
##だからカラオケとか個人的に嫌いです。
##何で意図のない下手な音楽を強制的に聞かなくちゃいけない
##のか、まったく理解できません。
##歌い方の技術がまさに「口先」だけになるという面で、あれ
##のせいで日本人は音痴が多いのだと思っていますし・・・仕事
##面ではつらいですが^^;。


あと、mandanaさんのコメントで非常に共感を覚えたのは、アニソンとかの捉え方、接し方。
私もまさに「アニメそのもの」とセットで聞いていました。だから見ないものは音源もってなかった^^;
単体で聞くとシリアスな意味での音楽としては聴けないです、正直。アニメがあり、声優が歌っていて、その作品中の歌である・・・この三位一体性は改めて振り返るとまさに必須要件だと思いました。
もちろん必須といいながら少しの欠けはまったく問題ないんですけどね、「萌え」るには(爆)


皆さんのような的確な表現は出来ませんが、自分にとっての音楽とは何なのかをまとめるいい機会でしたのでだらだら書いてみました。


ちなみにうちの奥様は音楽というものの考え方がまったく違うことはすでに判明しており、そういう意味で理解してもらえない点は悔しいです。
でも、音楽的な意味で共有(別名:洗脳)しようとかそういう気持ちはありません・・・そうすることで幸せになれるならしますが、そう思いませんし(笑)